本の場:●本の場● 山崎曜 YAMAZAKI YO 手工製本家 メディアとして主役を降りて久しい「本」を、今までとは別の、美や造形として輝かせて、新たな「もの」として存在させたい。

カルチャーセンターでの講座


池袋コミュニティカレッジでの講座、今年度は今日が最後だった。(えーと、確か年間で4回やったことになるのでしょうか?)
今回は「もっと自由に!手で作る本と箱」に載せた、段ボールキューブの大の方。
それ自体が何なのかよくわからないもの(自分で言うのもなんですが・・・)な、せいなのか、受講者はごく少なかった。でも、かえっていろいろな意見を聞けたのでよかったと思う。
受講してくださったみなさん、ありがとうございました。

思い返せば、今年度の4回は、封筒の本、柔らか革ノート、布装レシピノート、そして段ボールキューブ。
日曜の単発の体験的講座。
こういう単発の講座をやるようになって多分10年くらいにはなるであろう。
新しいネタを考えるのは、それなりに楽しかったし、できあがって喜ばれればもちろんうれしい。限られた時間の中で、仕上げられるように下ごしらえをして、うまく組み立ててもらえるように、作業のもっていきかたやマニュアルの書き方や何かに工夫をし、ということも面白かった。

でも、もう次に行きたいな、と思う。

やりたいことと、やってもらいたいという外からの要求がうまくあってるかはわからないけど、もうすこし対話があるというか、「作らせる」や「作っていただく」ではない、ことができるはずだ。

で、『ワンテーマ製本相談室』みたいな講座ができたらいいな、と思った。
ワンテーマ、は、「カッターでボール紙を切る」とか「箔押しをやってみる」とか「革製本の装飾、モザイク」とか、「糊で紙を貼る」とか、「小口に金をつけてみる」とか、そんな
のを一応のテーマとして(私が今ちゃんとできる自信がないものも含めて)かかげておいて、実演したり、体験してもらったり、質問を受けたり、する。

これのテスト版というかプレ講座というのかは9月の予定。

で、その前に子供を専門に撮影されているカメラマン中村愛さんといっしょにやる「家族写真で作る温かなフォトブック」の講座があります。こちらは、5月6月7月が中村先生の撮影講座、8月9月が私の製本講座になっていて、別々に受講することもできる講座です。
どうぞよろしくお願いします!

2010年3月 7日 本の場 | | コメント(0)

コテで押す作業


ながらく預かりっぱなしで滞っていたものをようやく仕上げ、昨日、依頼者に渡すことができた。
今回は革に箔押しで装飾した。といっても箔そのものはプラチナ箔を少し使っただけで、主に空押しというか、湿らせた革に少し熱したコテをあてて、革を少し変色させる技法を使ってみた。
最終工程では多分8時間くらいずっとコテで押す作業をしたので、昨日は筋肉痛。腕も少々そうなのだが、主に腹筋。「骨盤おこし」的に考えてよさそうな動きを多少は意識してやってみた。でも、つい腰椎を曲げてしまってよくない動きをしている時があって、最近日常の動きを少し注意していたせいか、痛まなくなっていた左足親指の付け根が作業直後少しいたくなり、おお、ここに来てる、無理が、と発見だった。
しかし、その痛みは意外に早くなくなって、結構肩が軽いのに気づく(久々に高岡秀夫さんのギュードサ体操の動きをやったら以前と全然違う肩の軽さだった)。からだ、いい感じ。

圧をかけるのが嫌い、といいながら、手で単調にコテを押して行くのが実は好き?と思った作業だった。模様や字を何回か押す時ずれたりしないようにというプレッシャーをなんらかの方法で解決できれば(これがばかにならない緊張感なのだ)基本的には人間にとって楽しい作業だろう。

2010年3月 4日 本の場 | | コメント(0)

本質的疑問を持ちながら生き延びる


骨盤おこしセミナー。去年11月から参加し多分5回目。えにし先生とも顔なじみになってきた。

後傾している骨盤を起こし、体を改善するのが目的の講習。

しかし、えにし先生の言葉のはしばしに感じられるのは、「人間という生き物は(身体的に)どうあるのがいいのか」という感覚。

昨年の2回目のセミナーの時に、川田順造著のアフリカ、日本、フランスの道具使いを比較した本をもっていって、それこそ「携帯電話を折り畳んだような」体使いをしながら種をまく、アフリカの人の写真をえにし先生にもちらりと見せた。



なんだろう。
いつも自分の位置を全体の中に見つけようとしているのか。

ともかく、今こうなってる世界の中に自分はいて、そこまでになってくるいろいろな壮大なストーリーを思ってしまう。

螺旋状にことは進行する。学生の時に三木茂夫先生の授業に引き込まれたのも同じ気配があったかもな、と思う。その時は個体発生は系統発生(だっけ?)を演じていて、その中でのスポットを当てられていたのが「上陸」という物語だった。海を出て陸にあがる生き物の物語。
最近思うのは、「立ち上がる」という物語のような気がする。ヒトはなんで二本足でたって、歩行し、思考するようになったの?なんで、その皮膚はつるつるなの?(、これは、「傷はぜったい消毒するな」夏井睦著、という本を読んでいて思った、これもすごく面白い本)から始まって、話はばっと飛ぶけど、どうしてこういうふうに道具を使うようになって、それが機械にこうなって、なんで欧米の産業革命が世界の覇者になって、なんであの体使いのアフリカが後進地域になり、なんで日本が特異な展開をしたのか、みたいな。

それを、だんだんに後傾でない骨盤になりながら考えて(いや、感覚して)みたい。

なーんてぼーっとなりながら、十条のリトルコへ。
イラストレーターの森千章さんの個展。
うちの教室で作っていたものなんかもあるのですが、初めてみる感じで特に質感が素敵でした。お店の雰囲気のせい?教室だと私自身が先生ポジションだからかな〜?
ココアおいしかったです。



2010年3月 1日 本の場 | | コメント(0)

研修終了


約3週間、研修という名目でフランスから来ていた、Yさん。昨日最終日でした。
(今週は風邪をひいてしまって、しかも来週は月曜からパリの銀行で研修だそうで。どうか体に気をつけて。)

研修といっても私としては、特にしてもらうこともなく、彼女としてもうちの教室を取材するのが主目的といった感じ。というか、日本ファンの向こうの製本学校の先生の強いプッシュがあってのことなので。

来るものは拒まず。
で、なんか楽しかったです。お客さんにいろんなものを見せる楽しみだね。ここの名物はこれだよ〜って。


私は2005年にフランスで工芸製本の装飾の講習を受けて、それ自体はとても楽しかったんだけど、もうヨーロッパはいいや、ってなんだか自分としてはとても腑に落ちた感じでした。
自分の生きてるのは東京だし、好きに、ここで、やってよう、と。

それは変わらないです。
でも知人や友人が増えたら、なんとなく遊びに行きたいな〜、と思うようになったかも。
そして、自分は確かにヨーロッパの手製本の流れからも育てられたけど、
今実際にやってることってそれとは実はあまり関係ないことなんだな、という自覚もした。

向こうの製本の先生、Yさんの報告を見聞きしてどう思うかな。







2010年2月27日 本の場 | | コメント(0)

「この日の学校」行ってみた


23日夜は、家族で「この日の学校」、甲野善紀さんと森田真生さんのレクチャーに行ってみた。武術と数学がどうからむのか、と思ったが、それぞれの今を語る形の会だった。

甲野先生の技は、今回妻が体験させてもらって、「どうしてこうできるのか、まるでわからない」という実感だったようだ。これはレジ袋を腕に下げるつもりの形に腕をして、そこをお尻をついてしゃがんだ人に両手でもってもらい、立ち上がるとしゃがんだ人を起こせる、というもの。(甲野先生最新の術、キャスター付き風見鶏、の方は、遠目にみていても凄そうだった。受ける方は、より何がなんだかわからない、という感じに見えた。)

昨日、家で妻とお互いに「しゃがんだ人を起こす」のをにやってみたのだが、本当に手の指を曲げてるかそうでないかで、起こせるか起こせないか、全く違う。そして、結果は歴然と違うのに、手や腕の中での感覚ではまったくそれがわからない。「起こせるか起こせないかというのを感覚できるには、そうとう感覚をトレーニングしないと難しい」と甲野先生もおっしゃっていたのだが、本当にそのとおり。

私は今回は主に森田先生の話を聞いてしまったように思う。たとえば、代数幾何、という分野が数学にあり、その概念の説明。幾何の世界で目に見える図形を、数値や式で表せる、つまり代数の世界に表現でき、逆もできる。幾何は目に見えるので、感覚的に理解しやすいが、それだけにあんまり突飛な発想はできない。それを代数に翻訳してそこで検討して、でてきたものを幾何にもどしてやる、というようなことが面白い展開を生む、というようなことらしい。
その、代数を頭の中で検討するのが、数学にしたしんでいない私のような人には想像もつかいない感じなのだが、それが「腕の中で何が起きてるのかを体感できる」みたいなことのような気がし、体感できたら面白いんだろうな〜と思えた。
なんとなく数のことは頭で考えてるようなイメージがあるが、頭も身体の一部だし、想像以上に数覚も体感的なものなんだろうな、と思わされた。

無意識にしている日常の動作。多分、それをひとつひとつ体感をあじわうように体験していくことが必要だ。しかし、普通だと漠然としてとっかかりが得られない。わかりやすい作業の点検から、ということになるだろう。たとえば、左足親指根本が痛む、とは思っていたが、昨日歩いて太極拳行く時、身体の内側から歩きを感じてみたところ、やっぱり、随分、そこ(母指)で地面を蹴っているのがわかった。あ、やっぱり指摘されたとおり、蹴ってる、と思った。そうすると、太極拳のとき、両手の親指に力が入りすぎて反ってるのが気になった。製本の作業の時、なんとなく随分親指に力が入ってるような感じがあったけど、それを抜いてみたらどうなるかとか試してみよう。

太極拳には套路という「かた」があるのだが、この「かた」による稽古ってものはもしかしたら、そういう「かた」をした時の身体の反応を利用して体感して、身体の動きかたを認識しなおすためのものでは、と思った。

2010年2月25日 本の場 | | コメント(0)

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