本の場:●本の場● 山崎曜 YAMAZAKI YO 手工製本家 メディアとして主役を降りて久しい「本」を、今までとは別の、美や造形として輝かせて、新たな「もの」として存在させたい。

言葉のまわりをぐるぐる回る

 
個展来場お礼の葉書に「言葉が好きだから本が好きなんだと思う」
と書いた自分。歌われた言葉は、もっと、とっても「効く」ので恐ろしくもあるのだがやっぱり、惹かれる。井上陽水、ね。井上陽水はデヴュー当時、楽屋とかでうるさいくらいビートルズをうたってて、と星勝氏(モップスの人だったっけ)がインタヴューで語っているラジオ録音のテープを昔しつこく聞いた。ビートルズ、ね。ジョンレノンね。
 
オノヨーコがやっぱりインタヴューに答えて、「あんなスターにならなかったら、多分、港町のバーで飲んだくれて、ちょっといい詩なんか書いて・・そんな人生だったんじゃないかな」みたいなことを言っていたような気がする。
歌われた言葉はおそろしく人を動かす。
そのちからは宗教に近い感情を作る。
そのことをいやというほど、思いしらされて、ジョンレノンは
God is a concept by witch we measure our pain.
I do’t believe in jeasus
I Just believe in me. Yoko & me.
と歌ったわけだ。それで私も段々にあんまりジョンがどうしたってことを考えないことにした。ジャストビリーヴ インミイ。(あの歌自体はあんまり好みじゃないけど。それに歌詞カードがないから英語間違ってる?)
 
このあいだ、カラオケ行ったらなぜか自分「青空ひとりきり」だった。「今、これ。」な曲だった。そんなに聞き込んでもいないのに、急に頭に出てきて、びっくりした。家族はぽかんとしてた。音楽は割りになんでも聴くんだが、言葉の音と意味にやられる。今、45だからか、あんまり新しいものが体に入ってこない。間歇的に若いミュージシャンの音がすっと入ってきて気に入ることはあっても。中学高校大学その後しばらく、は浸されてる感じで聴いていた。
その時に入った言葉がこのところ意識の表層に昇ってくる。使いたいし、歌いたい。そんな感じ。おっさんになったってことだな。
 
言葉は人間という生物のあり方を作った。
イブの食べた果実は、言葉、かも。(食べる前もアダムと楽園で会話してたか。)
単に、ネット上にいじめの言葉を書き込むだけで、誰かを動かして、死に追い込むこともできる。まちがってようが、殺伐としていようが、それは間違いなく言葉の力だろう。ときどき、ネットを適当に見ていて、そいういう手の言葉に当たると、そう思う。言葉の暴力、ね。
 
でももっと恐ろしい言葉の使い方は有ると思っていて、それは多くの人を熱狂させるような、美しかったり、力強かったりする、芸のある言葉のような気がする。それが、ロックだったり、ファシストの演説だったり、なんではなかろうか。でも「芸」があったら、やっぱりくらくらくる。それに育てられた私の言葉って、どんな言葉なんだろう。
 
自分の発した言葉に対して、反応の手応えを、しっかり感じるようになって、そう思う。(子供が盛り上がるのってすごく簡単。ちっちゃい弟の面倒をお姉ちゃんに任してる時、お姉ちゃんに私が時々叫ぶ言葉は「盛り上げ禁止!」)
 
本に書く言葉は冷静なものがいいな。ブログも。
私自身にも「盛り上げ禁止!」(ああ、だけど、盛り上げたくなるんだよね。盛り上げたくても盛り上がんないことも多いしね。)
 
 

2008年8月 8日 本の場 |

コメント(2)

tuntun :

「盛り上げ禁止!」いい。ねー。実家に帰っていて兄弟が集まると子どもだけでも6人もいるので、すんごいことになります。さっそく使おーっと。これから帰省するので。
オリンピックにも「盛り上げ禁止!」って言いたい。べつにムリに盛り上げなくていいよ。ねー。

山崎 :

ほんと、子供の盛り上がり力ってすごい。
それを御している、保育園や小学校の先生ってすごい。

それと、先日テレビでやっていたんだけど、ストレスのことの番組で、
「怒り」も自ら盛り上げていってしまうものなんだって。
確かに、考えれば考えるほど、怒りがこみ上げてくるっていうことはいろいろ思い当たる。その怒りの増幅を抑えるには「怒ってる自分」を外側から見ることが必要で、その手段として「・・・について怒ってる私」などというように言い表して、「怒ってる自分」自体を見るようにする、言葉のテクニックが紹介されていた。怒りの連鎖で起きる戦争を、そういうような方法で防ぐことができないものか、と、思う。

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