本の場:●本の場● 山崎曜 YAMAZAKI YO 手工製本家 メディアとして主役を降りて久しい「本」を、今までとは別の、美や造形として輝かせて、新たな「もの」として存在させたい。

いろいろ終わらないまま終わっていく年


年賀状 出せないままに お正月。ああ。


●今年は、仕事の手製本については、対外的には、共著の本が一冊出て、ワークショップもNUNO WORKSさんでのが終わり(これは楽しかったので残念)、池袋コミカレのがはじまり、キハラさんでもやらせていただいたり、と、それなりになんとなくはやっていたけど、いまいち煮え切らなかったな。

●連休にヒッポファミリークラブのプログラムでボルネオに家族でステイして、ホストも10月にうちにステイした、というのは、よかった。中国語も少しずつ近くしたい。

●中国医学の「気」について講習を受けはじめたのと、「骨盤おこし」に出会ったのはよかった。身体の機能と作業と道具をいろいろ考えたい、と漠然と思う。

●2年くらい手伝ってもらっていたひとが転職して、また一人にもどったのは、よかったのか悪かったのかわからないが、自分を反省する。


来年は4回目の(うまれた年入れないでね)年男で、そんなこともあるのか、年末は身の回りにもけがやら病気やらが多かったように思う。自分も5年ぶりに区の胃がん検診でひっかかって内視鏡をのまされ、出血性のびらんということで別に問題なしだが、胃酸が多いということらしい。そんなことで、ばたばたしなかったために、すべてが終わらずおそーくなった。ばたばたとがんばる気がしないのは、どうなんだろう。

「物」が好きなようでいてそれほどでもない感じもあり、物を作る人でありながら、物を作って生きる作家ではない。考える力がそれほどあるわけではないけど、考えるのも好き。こういう中途半端さは、ずっとこれからも続いていくだろう。だらだらと続けて、生きるだろう。だけど「これはもうだめだ、おしまい!」って自分で思う時っていうのは不思議とあるから、それをキャッチしそこねなければいいんだ、位に思ってる。

でも来年はいやなことから逃げずに計画性をもたねば。買い物に行った時にそう妻にしゃべったら笑われた。毎年言ってる?

みなさま、今年1年お世話になりました。来年もどうぞよろしくお願いします。




2009年12月31日 本の場 | | コメント(0)

今年の教室終了


今日もばたばたと、教室でした。

なんとな〜く、終わっていきました。

今日も細かい発見が、多々。そんな日はなんとなく、朗らかになりますね。

生徒のみなさん、本当にどうもありがとうございます。


教室が終わって、終わっていない年賀状を進行しています。

いろいろあって、まだ、です。毎年のことですが。

(クリスマスに、オーブンが壊れたり、とかね。)


2009年12月27日 本の場 | | コメント(0)

マイバブル


何年も預かって、終わってなかった仕事の一つをようやく仕上げた。(まだそういう仕事は残っている。頼んでるかた、もうちょっと待ってください、ほんとすみません。)
前にもそういうことは何度かあって、自分は本当に「居着いた」状態でだめだな〜と思う。
それに加えて、ここ数年(つまり最初の著書が出てからの4年弱)は自分にとって、バブルだったな、と思う。お金はさておき、精神的に。
著書を出してもらえたことで、ある意味、はじめて社会に出られたのは、たいへんラッキーだし、感謝以外にない。
自分は「作品」を1から作る、ということはあまりしない。
依頼されないで、何かを作るという作家的態度は弱い。
それでいいと思ってる。
だけど、2冊の「技法書」に載せた作例は、「作家的」。
作品的ものを作った気分に自分もなって、なんだか鼻高々。
な〜んか違うでしょ、依頼の仕事もこなせなくなってしまってるくせに。

小説家だったら、小説は作品で、著書ができていくことがストレートにメインなキャリア(あれ、ルー大柴?)だろうけど、私の著書は、本来メインじゃない仕事なんだけど(だって依頼されるまでそれなしで生きていて、これから同じ形では続いてはいかないだろうから)できてみたらメインになった感が自分の中であって、やばい、やばい。

でもまあ、いっつも、なんだかはっきりしない輩として、目の前にぶら下がったものを食べて生きることで生きていくしかない。
「もうちょっとちゃんとやろうよ!」と自分に言い聞かせつつ。(これ書いてから、スマップがなんかそんなことをCMの記者会見で言っていたな、と思い出した。)


2009年12月20日 本の場 | | コメント(0)

やなせメルヘン名作集


教室にも時々いらしていただいてる、Sさんのチョイスで、やなせたかしさんのメルヘンが時を超えてよみがえりました。103年続いている「食生活」という雑誌に、1973年(だったかな)から35年にわたって連載されたやなせたかしさんの、一風変わった短いメルヘン。その初期の作品から選んだものです。

わかりやすそうで、わからない、わからないようでいてわかっちゃう、不思議なお話。
警句、を感じるものが多い。やなせさんは、90になった今でも世の中に納得なんかしていない、とんがった過激老人、だそうです、Sさんによれば。
そんな感じわかるね。「アンパンマン」ばかり書いていたら、狂いそうだ。
これもそれも、やなせさんという人なんだろう。(私、アンパンマンって、捨身飼虎をいつも思っていた。仏教世界、かと。)
むろん、私はこちらの世界の方が好ましい。

深い、青よりのブルーグリーンのPP表紙に、マゼンタの見返し。素敵な本です。
どこで読むかな、と考える。
むろん適当なとこで広げて読んじゃうんですけどね。
ちょっと開きにくいのは無線綴じハードカバーだから仕方がないか、
なんとなく、気分をそぎます。(ああ、製本やってなかったらこんなこともあんまり気にならないんだろうけど・・・)

木の上で、読みたいかな。鬼太郎のうち。
ハンモック?
たたみの部屋だな。

読む、ってなんだろう。
この、何かが入ってくる感じ。
それは言葉が入ってくるんじゃ、ないんだよな。

何かが入って来るんだ。



2009年12月20日 本の場 | | コメント(0)

いよいよ増えてきました


韓国の金さんの本をみたり、うちの教室の生徒さんがフリッカーっていう画像専門のネット上のところにブックアートでいろんなものが出てる、とかいうことを教えてくれたり、静岡やうらわの美術館でブックアートの展示がされていたり、作家さんの個展やグループ展もブックアートのものが、本当に多いです。
そして製本の技法書も豆本含めて本当に沢山でて来ました。
時代は急速に流れていて、私もその流れの中で、上になったり下になったり、あっちむいたりこっち向いたり。
私がブックアートをあきらめたのは多分7〜8年前ですか。
逆立ちしたり踊ったり、おめかししたり、しかめ面したり。いくらでもやりようはあるとは思うのですが、「僕は普通に本が読みたい」人なんです。
そしてもしも、自分がアーティストだとして、「アートする」としたら、「本」という枠の中でやるんじゃなくて、「本」というような枠を作るのがやりたいんです。本という枠が魅力的なだけで、その中で表現してるものにはあんまり興味がありません。

で、来年は、もう少し、「読む」という行動をしている時の、気持ちを大事に、普通に、本を製本したり、読んでるその場を考えたりしてみたい。そして、本をとっとくその気持ちについて、考えてみたい。

まあ、なんのかんの言っても、「混雑」がきらいなの。
混雑してきたら、どっかへ、こっちが移動するのです。
ほなさいなら、オルヴォア、トゥルモン、アディオス!


2009年12月20日 本の場 | | コメント(0)

太極拳体操だとしても


昨日は太極拳の忘年会。おとといは教室の忘年会。こちらは西荻窪のタイ料理やさん「ぷあん」で20人で。おいしくて、なごみました。

昨日は太極拳の忘年会。
むろん、忘年会前は今年最後の練習。準備運動の開脚の前屈や普通の前屈でも前回と感覚がちがうし、鏡でみても、胸の姿勢がよくなっています。

両手をおなかにあてての站椿から、靴の中の足をにぎって(特に外側の三趾)MP関節の方に乗り、踵にはあまり乗らないようにして、やってみました。久々に先生から姿勢についてチェックが入りました。これは、よりこまかい指示があたえられた感じがして、かなりうれしい。MP外側に乗りながらも、はい骨でなくとう骨にのって、「すわるように」というけど、いままで、かなりかかとに乗って「どっこいしょ」と落ち着いてすわっていて、そうじゃないらしいぞ、って感じがしました。「すわるように」というのも微妙なもんです。足のアーチの作り方が、内側にしめるようなものではなさそうだ、というのがわかりました。

套路も外三趾のMP関節に乗ると、力がよく伝わる感じがします。陳式の手のしぼりかたも外の三指を意識すると随分、効きそう。

そんなことを思いながら套路をすると、面白いです。
自分は戦う気はないので、武術をやるのもおかしな話です。
「健康体操」といわれればまさにその通り。
そして、美しく舞いたいみたいな気持ちもあんまりないです。

たぶん、身体の研究、身体の力学の研究、みたいな楽しみ。こういうふうに立ったら気持ちいいな〜とか。
その道標として例えば、「牧神の蹄」持ち上げられるぜ〜、みたいな人とも刺激しあえる楽しみがちょっとあることもおまけの楽しみです。前屈できるようになる、とか、開脚できるようになる、とか、しゃがめる、とか、そういうのも、まあ、おまけといえば、おまけ。

套路の中の技っぽく見える型をおぼえても多分、戦えない。
多分戦うことがあるとして、それは、素人がその場で「なんとかする」という戦いでしかないから、その時に、もし何か有効なものが「太極拳体操」の中にあるとすれば、自分の機能をじっくりと観察しあじわっていた、ことによる自然な動き、なのではないか。

忘年会では、女性陣はいろんなことを楽しく話し、男性陣はやっぱ、太極拳や気功の理屈、みたいなことを。
ま、長老のFさんおっしゃるとおり、「何回でも動いてみなけりゃだめなのは当然。理論も読まないとだめ。どちらも何度でもやっていかないと!これは来年の課題だよ」と言って中国武術の理論のコピーをくださいました。
私は気を学ぶを教えていただいてるO先生の隣だったので、少し話すことができて良かったです。
今年は「気」のことも、座学で学び始められたし、よかった。





2009年12月17日 本の場 | | コメント(2)

牧神の蹄


えにし先生考案の趾(足指)トレーニング道具。これを足の指とくに中指、薬指、小指でひっかけて持ち上げるのですが、うーむ、むずかしい。しかし、今朝、ちょっとできました!
筋力とともにこつもとても必要、というより、こつが掴めるまでは筋肉に力がはいっちゃうけど、こつがわかったら、筋力はそんないらない感じなんでしょう。
えにし先生の道具とか、トレーニングの考え方がとても面白いです。(というほどよく理解してないと思うけど)
それと、思うのは、それらのトレーニングはいくらやってもやり過ぎになりにくい感じがします。動くはずにもかかわらず動いていない股関節を動かそうとすることは、無理なストレッチとちがっていくらやっても比較的大丈夫な感じがします。ぐいぐい力を込めても、筋肉痛やつったりはするけど、身体をいためる、という気はしません。
以前に骨盤をうごかす体操(正座して後ろに身体をそらせて、背中で着地)やった時の、「しまった」という感じが、全くないです。この時は多分、骨盤や股関節が動かず、腰椎に負荷がかかってしまい、傷めた、ということなんだと思います。

身体のことを考える刺激になる。
製本の道具もこうあれればよいな〜と思います。

2009年12月16日 本の場 | | コメント(0)

骨盤おこし三回目


十一月の2回に続いて、3回目。
うーむ、股関節から動くのって、まだまだ。
今回は妻と。
最後にえにし先生に、胸郭付近まだまだ改善余地ある、と、肩甲骨をずるっと背中した側にすべらせるような動きを促してもらうと、また、粘土のように自分が動いて、「あ、こんな動きありなんだ〜」と思って、帰り、ぐっと前にでっぱなし。姿勢、って、こう!
それと、僧坊筋すごい力はいってる、と指摘される。うむ。抜いていこう。

足指、手指とも中指から小指の3本を握るのがとても「つかってないんだな〜」って感じ。
ここを攻めればいいのか。

ボールあぐらも予想どおり、違っていた。

形ではなく、実質を。

2009年12月13日 本の場 | | コメント(0)

やっと


ずっと持ちっぱなしになっていた、直しの仕事がようやく、今週、できあがった。
あとはその保護箱を3つ。
夫婦箱を折り箱で作ろうと、教室中にちょっとずつ試作。

だめな自分だが、少しだけでも前へ。

明日は妻と骨盤起こし。来週は、月曜内視鏡、火曜3年ぶりの教室の忘年会(22人も参加予定)、水曜が太極拳の忘年会。




2009年12月13日 本の場 | | コメント(0)

漢方の論理


今年最後の「気を学ぶ」の授業。
中国では現代医学と中国医学(いわゆる漢方)の医者は病院でも協力しあってことをすすめている、というお話で、O先生も現代医学も学んでおられる。
毎回の話で、「この気の働き「防御作用」は現代医学では「免疫」のはたらきとして、この気の働き「温煦作用」は自律神経の働きとして説明されるもの」とか対比させて説明してくれる。
なんとなく、漢方の考え方が少しわかってきたように思う。(多分、これを繰り返し、筋道を追うことで、考え方の悪い言い方かもしれないがパタンを学び、身体に染み付けていく。そうしながら、実地に自分の身体で呼吸法や、意識した食事をして身体や自然を感じ解釈しなおしていく、という学習法なんだろう。)

症状をとらえるときの捉え方が、表面的ではない。症状があるから直近の原因をとらえて、それを消す、という対処ではない。症状はなぜ起きてるのかということを、全身の状況から判断して、より根本の方での対応をしていく。

私は酒を飲み過ぎだな。
今年は検診でひっかかり、来週は久々の内視鏡。
これを機に、また、曲がり角を曲がっていきたい。
ちょっと脾胃につらくしすぎた、この1〜2年だったから。



2009年12月10日 本の場 | | コメント(0)

学校の中間チェック


M先生と東北の方の大学のY先生と。
学生はまじめ。前回の印象と違って、ちゃんとやってるじゃん、さすがみなさん優秀。
M先生の言葉は切れ味よく問題点を抽出してくる。また、見とる速さがさすが。ばりばりにやってるデザイナー業と先生業とが、みごとにマッチしていて、こっちが言葉に感心させられる。

宗教、生死、を題材としたものについてのコメントの仕方も、ここではこういうふうにするのか。と明快。自分だったら言いよどみまくりだな。

デザイナーはいつでも結果を求められる。
そこはとうぜん熾烈な戦い。
戦いたくない私は、デザイナーでもないし、アーティストでもない。で、それで、よし、と。

で、高校の時の剣道の授業思い出す。「戦う意味がわかんね〜」と、やる気なく7〜8連敗。その後、あんまり負けるのもいやだ、と思って、ちょっと勝ったような記憶が。(その、勝った記憶があいまいなところが、多分、自分にとってははっきりしたくない部分なんだろう。)




2009年12月 8日 本の場 | | コメント(0)

気を学ぶ


先々週は、自分の授業のために、超楽しみにしている「気を学ぶ」の講義を欠席するはめに。
一緒に聴講してるkさんに頼んで、いつもKさんがとってる録音とノートを貸していただく。
昨日の夜、教室後に聞いた。欠席、かなりとりもどせた感じ。
中国医学の「気」についての認識が随分懇切に説明されはじめ、日本で言う「気」とは随分違うものだとわかる。
気は「もの」であり「はたらき」でもある。
その二つを両方同じ言葉で表現するところに大変特徴がある。普通現代の当たり前の考えでは、もの、と、はたらき、は分けるでしょ、と思う。むろん、中医でもわけるのだが、その上で同じ言葉「気」と表すところが、意味深い。と、おもう一方、漠然とする。すべての生命活動は「気」で説明できる、みたいなことを聞くと、じゃあ、何も「気」と言わなくてもいいんじゃない、みたいなことも思わないでもない。


2009年12月 6日 本の場 | | コメント(0)

なんで太極拳やってるのかな


戦うためじゃないよね。だから健康のため。でもそれだったら気功でもいいんじゃないか。

多分、身体の動きを知りたいんだ。だからたまたま太極拳なだけで、古武術でもなんでもいいのかも、と思う。日本刀とか、あまり好きだな〜とは思わないからか。

結局は作業姿勢とか、道具使いとか、そいういうことに反映したいのか。
身体について高度な技術を使いこなしている武術というものに興味があって、そこから
自分の身体を感じたり考えたりして、変えていきたいんか。

ま、そんなこんなで、骨盤おこし。
はやくしゃがめる身体になって、それから、めざせ股割。

意識して動かすことが大事。

2009年12月 3日 本の場 | | コメント(0)

急に韓国のブックアーティスト、会いに来る


下北沢のギャラリーkyoで、今日から展示ということで、ウェブで見て、近いからアトリエ見せて、ということで。

あさって韓国帰るから、と、さっと行動。すばらしい。

「手で作る本」と「もっと自由に」と両方買ってくれた。韓国で書いた本送ってくれるっていってた。韓国では油絵、ロンドンでブックアートを学んだって。

これからワークショップなんですぐいかないと、って忙しかった。

アートブックかブックアートかわからないけど、自分とは遠い世界、と思った。

アーティストじゃないからな自分は〜と、いつものぼやきが自分の中におこる。
このぼやき、大事に、火を絶やさずに、と思う。

2009年12月 1日 本の場 | | コメント(0)