研修終了
約3週間、研修という名目でフランスから来ていた、Yさん。昨日最終日でした。
(今週は風邪をひいてしまって、しかも来週は月曜からパリの銀行で研修だそうで。どうか体に気をつけて。)
研修といっても私としては、特にしてもらうこともなく、彼女としてもうちの教室を取材するのが主目的といった感じ。というか、日本ファンの向こうの製本学校の先生の強いプッシュがあってのことなので。
来るものは拒まず。
で、なんか楽しかったです。お客さんにいろんなものを見せる楽しみだね。ここの名物はこれだよ〜って。
私は2005年にフランスで工芸製本の装飾の講習を受けて、それ自体はとても楽しかったんだけど、もうヨーロッパはいいや、ってなんだか自分としてはとても腑に落ちた感じでした。
自分の生きてるのは東京だし、好きに、ここで、やってよう、と。
それは変わらないです。
でも知人や友人が増えたら、なんとなく遊びに行きたいな〜、と思うようになったかも。
そして、自分は確かにヨーロッパの手製本の流れからも育てられたけど、
今実際にやってることってそれとは実はあまり関係ないことなんだな、という自覚もした。
向こうの製本の先生、Yさんの報告を見聞きしてどう思うかな。
2010年2月27日 本の場 | 個別ページ | コメント(0)
「この日の学校」行ってみた
23日夜は、家族で「この日の学校」、甲野善紀さんと森田真生さんのレクチャーに行ってみた。武術と数学がどうからむのか、と思ったが、それぞれの今を語る形の会だった。
甲野先生の技は、今回妻が体験させてもらって、「どうしてこうできるのか、まるでわからない」という実感だったようだ。これはレジ袋を腕に下げるつもりの形に腕をして、そこをお尻をついてしゃがんだ人に両手でもってもらい、立ち上がるとしゃがんだ人を起こせる、というもの。(甲野先生最新の術、キャスター付き風見鶏、の方は、遠目にみていても凄そうだった。受ける方は、より何がなんだかわからない、という感じに見えた。)
昨日、家で妻とお互いに「しゃがんだ人を起こす」のをにやってみたのだが、本当に手の指を曲げてるかそうでないかで、起こせるか起こせないか、全く違う。そして、結果は歴然と違うのに、手や腕の中での感覚ではまったくそれがわからない。「起こせるか起こせないかというのを感覚できるには、そうとう感覚をトレーニングしないと難しい」と甲野先生もおっしゃっていたのだが、本当にそのとおり。
私は今回は主に森田先生の話を聞いてしまったように思う。たとえば、代数幾何、という分野が数学にあり、その概念の説明。幾何の世界で目に見える図形を、数値や式で表せる、つまり代数の世界に表現でき、逆もできる。幾何は目に見えるので、感覚的に理解しやすいが、それだけにあんまり突飛な発想はできない。それを代数に翻訳してそこで検討して、でてきたものを幾何にもどしてやる、というようなことが面白い展開を生む、というようなことらしい。
その、代数を頭の中で検討するのが、数学にしたしんでいない私のような人には想像もつかいない感じなのだが、それが「腕の中で何が起きてるのかを体感できる」みたいなことのような気がし、体感できたら面白いんだろうな〜と思えた。
なんとなく数のことは頭で考えてるようなイメージがあるが、頭も身体の一部だし、想像以上に数覚も体感的なものなんだろうな、と思わされた。
無意識にしている日常の動作。多分、それをひとつひとつ体感をあじわうように体験していくことが必要だ。しかし、普通だと漠然としてとっかかりが得られない。わかりやすい作業の点検から、ということになるだろう。たとえば、左足親指根本が痛む、とは思っていたが、昨日歩いて太極拳行く時、身体の内側から歩きを感じてみたところ、やっぱり、随分、そこ(母指)で地面を蹴っているのがわかった。あ、やっぱり指摘されたとおり、蹴ってる、と思った。そうすると、太極拳のとき、両手の親指に力が入りすぎて反ってるのが気になった。製本の作業の時、なんとなく随分親指に力が入ってるような感じがあったけど、それを抜いてみたらどうなるかとか試してみよう。
太極拳には套路という「かた」があるのだが、この「かた」による稽古ってものはもしかしたら、そういう「かた」をした時の身体の反応を利用して体感して、身体の動きかたを認識しなおすためのものでは、と思った。
2010年2月25日 本の場 | 個別ページ | コメント(0)
研修生の感想
研修とはいっても、とりあえず居てもらう、ということしかできてないけど。
月、火とひさびさに人の居る環境で、自分の作業をした。人がいると、だらけなくていいです。
それに、決めた〆切が迫ってるし。
彼女の行っている製本の学校では、製本師の国家資格をとる勉強をしているんだそうです。フランスではパン屋さんなんかは国家資格がないと開業できないです。(日本も多分、調理師とかの資格がないとだめですよね。)製本はそういうことはないけど、まあ、依頼者に安心感は与えるかな、ということだそう。
フランスでは、どの家にも数百年前の古い本が壊れてある、というのは当たり前だから、営業すれば、製本師の仕事はそこそこ食って行けるのでは、とは研修生Yさんの言葉です。内容をスキャンしてCD化して、本の方は直して持つ、みたいな仕事を作っていけば、とその製本学校の校長先生は推奨してるみたい。(本は廃棄してデータだけにする、という感じが日本だったら自然?と一瞬思ったけど、対象となる本の古さ、値打ちが、違うんですね。日本でも古い和本をスキャンしたからといって廃棄しないですよね。)
しかし、当然のことながら、日本の事情とは随分異なります(どの家にも古い本がある、とかそういうことからして)。だから、うちのような趣味の教室のありかたっていうのも、フランスでの趣味の教室(これはいっぱいあるようです)とも、ものすごく違うし、さらに自分はかなりアートよりなんだな、と改めて思わされました。
Yさんいわく、
「ここの教室の生徒さんはただものでない人ばかり。習い事をしてるって感覚ではないですね。みなさんアーティストですね。」
2010年2月17日 本の場 | 個別ページ | コメント(2)
月曜夜はエンククイへ
アート&バー。だそうである。
夜営業なので、ちょっと行きにくいと思っていたが、うちの教室メンバーHさんの誘いにのって、教室メンバー7人でおしかける。(例によって、展示の棚の作りとか、細部でもりあがるみんな。ほんとマニア。)
展示は、松永亨子さんの「ふたたびの庭」。
(展示のタイトル間違えました、すみません。2月18日に直しました。)
蜜蝋の質感とジェッソの白とグリーン基調の写真の複合物。
松永さんは作品そのもので「言う」感じがする。
で、気になる。
お店、ちょっと暗いかな、展示には。そこにあうものもあると思う。もちろん。
で、私は、松永さんの作品は、もっと明るい場所でみたいかな、と思った。
(まあ、そういう展示は今までもやってるんだろう。前に実家近辺でやった展示が素敵そうだったな。関西だから行けなかったけど。)
2010年2月17日 本の場 | 個別ページ | コメント(0)
週間報告
先週は、人が来ました。
11日の休日前は、小4の女の子がうちに一泊。ヒッポの海外でのホームステイに向けての国内での練習ステイ。知らない人のうちに一人で泊まるっていうのは、小学生にとってはかなりの勇気が必要なことでしょう。
こっちも慣れているわけではないので、それなりに緊張。でもとても楽しかったです。
家族でカードゲームをしたり、夕飯を食べたり。
Hちゃん、来年のマレーシアステイに向けて、がんばれ!って気持ちが、いっぱいになりました。
それに前後して、火曜日からは、フランスの製本学校に行かれてるYさん(ご主人がフランスの方でフランス在住なのです)が、研修ということで、うちの教室に。金曜、土曜は、朝から晩まで教室につきあってもらったのですが、合間にいろいろと、フランスの学校のことなどうかがいつつ、お互い「へーっ」とか「ほーーっ」とかいうようなことがいっぱいで面白かったです。教室では、ギャラリーが居る感じで、私は少しテンションがあがってしまいました。
2010年2月14日 本の場 | 個別ページ | コメント(0)
手製本の漫画
知り合いの重松成美さんがマンガを出版された。
多才な方で、人形、版画と文章、そして製本もなさっていたことがある。このマンガは、製本を学びにフランスに留学されていたときの体験をもとにしたもののようだ。
『ルリユールおじさん』と同様、フランスでの「本」に対しての愛情の体験がよきものとして描かれている。
私は、『パパラギ』を読み、続いて『逝きし世の面影』(渡辺京二著、平凡社)を読み出したところだ。私は深く考える人ではないので、なんとな〜く読んでてだめなやつだが、いつも気になってる「そこんとこ」っていうのはある。ヨーロッパ生まれの価値観で今の世界が構築されていて、日本はどうしたかそして今どうしてるか、とか、自分はどこから生まれてきて今どうしてるの(自分の価値観はどこに基づいてるの?)とか、そんなこと。
パパラギは、20世紀前半にヨーロッパを見て、故郷サモアでその感想(批判)を演説したサモアの酋長の演説の聞いたドイツ人が、酋長の演説を記録したというもの。
逝きし世の面影は、19世紀後半に日本を見たヨーロッパ人の記述を詳細に読みとって、その時代の日本を浮かび上がらせたもの。(まだちょっとしか読んでないにの書いちゃうけど。)
すごく大雑把だけど、どちらも異文化がどう見えたかということが、ヨーロッパという中心との関係が感じ取れる、というものだと思う。
私にも、本はいいものだ、と思う面はもちろんある。
けれど、本というものに対しても、ある距離を置いて眺めていたいと、いつも思う。
なんとなく
浅き夢見じ 酔いもせず、
っていう気分。