本の場:●本の場● 山崎曜 YAMAZAKI YO 手工製本家 メディアとして主役を降りて久しい「本」を、今までとは別の、美や造形として輝かせて、新たな「もの」として存在させたい。

教室展のDM用の撮影


きのうはこのホームページも作ってもらっているTさんに作品30点以上を撮影してもらいました。こんどの教室展は参加者も30人越えで、どんな展示にできるのか楽しみです。
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3年にいっぺん展示をして、すでに今度で4回目。

このごろって3年もたつと、すっかり時代が変わってるなぁと感じます。

2001年に1回目をした時は「こういうもの」が世界にあるとは知らなくて、製本方法のかなりの部分を自分で考えていた時代でした、私にとっては。

2004年の時は、keith Smithの本を知ったりしてアメリカではいろいろあるんだなと思い、そういうものも取り入れて作ってみました。それは2006年の「手で作る本」に活かしました。
3回目2007年はその出版後だったのでマニアさが少し薄れたかな。

今度はどんなでしょうか。9月14日(火)から19日(日)、世田谷美術館区民ギャラリーです。

2010年6月30日 本の場 | | コメント(0)

骨盤おこし、7回目


日曜は骨盤おこしのセミナーだった。2ヶ月空いて久しぶりだった。

今回から新シリーズということで、土日二日のテーマが、
「構造動作・股割りチャレンジセミナー」と「構造動作・基礎トレーニングセミナー」と別になった。

私は日曜の基礎編に参加。骨盤の寝ている状態起きている状態の説明からはじまって、あるべきポジションの説明、股関節の動きで行う立位体前屈、骨盤おこし式スロージョギング、などと続く。不調のある人、はじめての人、などから質問を引き出しながらその本人に指導していくのを見るのは面白い。
立位体前屈では「やったことのある人は周りのはじめての人に説明してあげて、ほら本屋さんも」と言われ、しどろもどろ。自分ではこんな感じとわかるようになったが、人のうごきを見ると、どこがどううまく行ってなくて、どこをちょっとこうやるといいよ、みたいなことがまるで言えない。うう。

「意識が高いかどうか、どれだけの意識をもってるか、でしょ、結局。」
「できないのは、何かがブレーキをかけてるから。」
「何がしたいの」
などの言葉が印象に残る。いちいち(そうなんだよな〜)と思う。

セミナー終了時のちょっとした時間に、牧神の蹄のつまみ方を見てもらい、
乗り方を教えてもらった。上腕二頭筋が前に向く正しいポジションで壁に手をつき、しっかりと前に押しながら、足のMP関節で蹄に乗り、胸骨、首をのばす。「もっとのばせる、まだまだのばせる」と、えにし先生。そうだな、そう思う。

終了後、モスでお茶。
先生の隣だったので、どうやってスロージョギングをやるのを思いついたのか、とか、(箔押しの道具も持って行ったので)どういうところに注意すると、垂直水平をコントロールできるか、などいろいろ聞くことができた。

先生自身が脚が麻痺して動かなくなってしまった(なんとか神経麻痺、名前忘れた)時の回復させるための運動として、スローにしかできなかったジョギングから始まったのだそうだ。やる時間もいろいろためして、30分が一番効果がでるとわかったそうだ。やっぱりそうなんだ、身体で試すんだな。
当たり前だよね。といいながら、自分も製本で疑問はそうして確かめてるけど、多くのことは人から聞いてやってるな〜と。

それから股割りのときの足のポジション。
手や足、末端が一番「わかりやすい」場所なんだ。普段使うから、感覚しやすい。急に股関節や体幹と言ってもわからないから、それよりはまだわかりやすい末端から攻めて行く。と。

できるところからやるしかなくて、そこから見つけるのだ。
と、冷蔵庫から片付けだしてる、私。(家に居るのは私の方が妻より圧倒的に長いのであるから。)
教室展の準備もせねば。
今年上半期を終えようとする今、私のテーマは片付け。
けりをつけずに、散らかりきって混乱している今。できるところからやるしかない。

まだまだ、だけど、これからだな。生活+本作り。

2010年6月29日 本の場 | | コメント(0)

アールブリュットと


パリで、日本のアールブリュットの展示をやっているのを、日曜美術館でやっていた。テレビの画面で見ても、すごそう。クオリティ高そうだ。

と思いながらもうちの教室の作品もなんだかアールブリュット的なところがあるかも、と思い当たる。「この時間、この空間の中でだけは、私は何をしてもいい。楽しい!」とみんなが思っているからなんじゃないか。

印象に残ったのは、展示をしている美術館の館長が、「アールブリュット」はフランス(だったかヨーロッパ、と言っていたかも)で発見(「発明」のようなことばだったかな?見いだされたというニュアンスか?)されたものだが、もはやここ(ヨーロッパ)では、真正のアールブリュットを見いだすことは困難。」
と言っていたこと。人に見られることになると、もう、それは存在しなくなっていくのか。見られないはずのものが見られたからアートたりえたが、それが見られるという前提を得てしまうと、本質が変質してもはや元のものでなくなる。そんなことなのか。
アールブリュットの作家たちはそんなこととは関係なく描き続けていくものも多いのではないか、と思うが、意外にそうではないというのはなぜなんだろう。見られたら変わる。受け入れられたら消滅する。芸術を生む、テンションって不思議で面白い。(というかアールブリュットの場合、「それ」を「芸術だ」と他者が見なすという行為が問題なのかもしれない。本人が「それ」を「芸術だ」と言ったのはデュシャンだけど。)

「芸術」は不健全をバネにしたり、不遇をバネにしたり。
満たされて何も生まないのもまた、よいのでは、簡単には言えないけど。
ああ、本当に簡単には言えない。泉が枯れてもその状況を受け入れるしかない。
自然と同じで。だが、もがくよね。

さて、今年は3年に一度の教室展を9月14日から19日に世田谷美術館の区民ギャラリーでやります。(14日は搬入もあるので開始は少し遅くなると思います。)
来週DM用の写真を撮るので今作品をみんな持って来てるんですが、

あーっ。。。。ってなんとなく、感動。

DMが、そして展示が楽しみになってきた。


見られても変わらずみんな作品を造り続けて行きますよ。
というかみんな人に見せたいと思う。
絵などの展示より、見に来た人と自然としゃべるんだよね。本の展示って。
しゃべったり、拡げてあげたり。
見せにくい、展示しにくいものを並べているっていうことが逆にとてもいいことのよう。

2010年6月23日 本の場 | | コメント(4)

写真集


手で作ると、いろいろな対応が可能だ。それに悩まされる。それが面白いんだが。

市販の、両面に印刷できる紙だと、相当な厚さ(一番薄いもので157g/㎡、四六判で175キロ、厚さだいたい0.4ミリとか)である。
これを使って本を作るとすると、普通の造りだとうまくいかない。背を固めすぎれば開かないし、無理に開けると背が壊れる。背をやわらかくすればはじめから型くずれしたものになる。
というわけで普通とはかなり違った造りにする。
が、どれも一長一短が、当然ある。

普通のかがり機の針のピッチは決まっているようだ。型くずれせず、経済的でもあるピッチが選択されてるのだろう、と推測する。絵本などでよくある、1折り中とじのかがりのピッチはもっと細かい。これは、折りが一つしかないので内部まで糊が届くことがなく、真ん中の方の紙が動いてしまいやすいからだろう、と推測。

手でする時の縫い目の間隔、結構適当にやっている。しかし、上のような硬い紙になって糸も細くなってくると、折りの内側の紙がうごきやすいという結果に。
そこで1センチくらいの細かいピッチで綴じてみることに。しかも手とじの基本の綴じ緒のある本かがりで。ページのゆるみは防がれるが、どのくらい型くずれを防げるのかはわからない。まだ途中なので。
(これに対しては、グニャグニャでかまわないという態度もありだ。本ではなくノートのように書き込むものならば、よりそうだ。)

理想の本の形というものはあるのか。
自分はいつも出て来た状況の中で何かをすることしかできない。
あまりにも求める形がないのではないか、と自己嫌悪することも多い。
しかし、「ない」ものは「ない」。
どこかに「範」を求めようとしていないからか。

自由になるためには、自分が「でき」なければならない。


2010年6月 8日 本の場 | | コメント(2)

垂れ革表紙の製本


この間依頼された修理(というか、再製本)は、昭和のはじめの聖書だった。どんな形にしてもいいよ、ともかく、壊れてひどい状態なので、使えるように、ということだった。

実際に持って来ていただくと垂れ革表紙というタイプの本だった。手にとってちゃんと見るのはほとんどはじめて。書き込みもいっぱい、使い込まれているようす。特徴的な製本なので、わざわざ別の形にするのではなく、できるだけ、元のイメージで製本することにした。

垂れ革(または折れ革、とも言うらしい)表紙は、聖書によく使われている造りらしく、検索すると、現在でも作られていて売られている。
早速、銀座の教文館に見にいったが、普通のハードカバー(やわらかめ)のチリを大きくしたぐらいのもので、今度のようないかにもそれらしい形ではないので、あまり参考にはならなかった。

現物があるのでじっくり観察して再製本することにした。(古本屋もまわって調べるべきなのだろうがなかなかいつも実行してない。。。。)
この本は見返しも革になっていて、表と裏の革の継ぎ目が最初見た時はわからないくらい丁寧に革加工してあった。

結局、元の通りに直すというより、より丈夫になるように修正して直すことにした。変えた主なところは下の2点。

●綴じをささえる綿のテープを表紙の方に付ける芯紙の方に付ける(元の本は中身の方についていた)

●背をかためていた、にかわをやめて、紙工用のボンドにし(より柔軟になる)背貼りの枚数をふやして動きを抑える。

というような感じ。背の動きは、本文の薄さとか柔らかさとか全体の重量とかで随分かわってくるので、どのくらいが最適なのか、いつもなやむ。今回もとりあえず、普通に背固めをしたら、かなり柔らかく動きすぎなので背ばりをふやして、動きを少なくした。

修理前の状態。
垂れ革壊れ状況.jpg
垂れ革元の本見返し.jpg
修理後は。

垂れ革修理後外観1.jpg
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例によって箔押しに苦労。レザーメイトさとうさんで入手のバッファロー(と呼ばれているが水牛らしい。そして大きさから言ってその子牛だろう)の革を使ってみた。かなり柔軟なので、フィルムの金箔で一発で押せるかと試したが、しぼをつぶすのが全く無理だった。幸い水の吸い込みのある革だったので、湿し押しでしっかりと跡をつけてから、フィクソールを塗り入手したばかりの三枚掛の金箔で押し。

2010年6月 7日 本の場 | | コメント(2)

骨盤おこし、経過


私はあんまり、がーっとやれない性質。
去年の11月に初骨盤おこしセミナー、2回参加しました。
確か12月に「牧神の蹄」をゲット。
1月、2月、3月とセミナーに参加し、4月、5月は行けず。次回の6月は行くので、それで7回目ということになる。
早くも半年がたとうとしてるんですね。
10年位も前に骨盤が後傾している、それのせいでかかとをついてしゃがめない、と指摘されたことが、骨盤おこし、に取り組むきっかけです。

で、変化。

●最初のセミナーでの変化は、猫背が少し伸びたということなのだが、知らなかったからだの動かし方をおぼろげながら知ったことによる変化。

●かかとついてしゃがむようになった。しゃがむのが楽しい。

●足首を伸展するといつもつっていたのですが、そのまま伸展しつづけると、力感を感じ、「つり」を超えられることがある。

●同様な感じで開脚で前屈を無理にすると腹がつる時があり、その時逆に反ってのばして、つりを解消していたが、腹圧をかけて(つまりおなかを膨らまして)つりを解消できるようになった。

●首を前に曲げて肩甲骨の間から僧坊筋(?)に突っ張り感が減った。

●「蹄」を少しは、小指側でつまめるようになってきた。ここのところ最初は全くできなかった左足でもできる時がけっこうでてきた。

●肩甲骨のあたりの背中の感じがかわり、あと胸の胸郭の痛さが
始めた当初はけっこう感じていたのに、今はわりに無い。そして、肩甲骨が随分ぼきぼきいうようになって、多少動きが出て来たのではと思う。(この辺はどんどん変わっていくので、感じを書いておかないと前の感じを忘れてしまう。いや、書いておいても思い出せなくなるかも。)

●パソコンの画面をちょっと高い位置に変えて、胸出しの姿勢でパソコンするようになった。

●去年の3月、太極拳の王西安先生に「ここゆるめなさい」と胸を押さえられたのだが、それって猫背で背が丸くかぶっているから胸がぎゅとつぶされていたからなのだろう、と理解しなおした。背をのばせば胸が自由になるのでは、と数日前に思いついた。胸を出し、肩甲骨をずり下げ、頭の位置をもう少し上というか後ろというかに持って来る。今は頭がまだ前にあるので、その頭をささえる僧坊筋(?かな?)にいつも力がかかっているのではないか。

などなど。
普通の人にとって、身体は、問いかけないと、「なんとなく自分はこんな感じ」と思ったまま。それはわかってる人から見たらひどく不自由な状態なんだろうと思う。
もっと自由になりたいな〜。

2010年6月 1日 本の場 | | コメント(0)