本の場:●本の場● 山崎曜 YAMAZAKI YO 手工製本家 メディアとして主役を降りて久しい「本」を、今までとは別の、美や造形として輝かせて、新たな「もの」として存在させたい。

森千章イラスト・手で作るポートフォリオブック展


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個展 「森千章イラスト・手で作るポートフォリオブック展」巡回展
日程=2011/1/4(火)~ 10(月・祝)
10:00 ~ 22:00 最終日のみ 10:00 ~ 18:00
場所=恵文社一乗寺店ギャラリーアンフェール
http://www.keibunsha-books.com/gallery/index.html

2010年2月に行った十条・リトルコの個展の巡回展です。
手製本と合わせて、イラストを展示致します。
新作もございます。

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というイラストレーター森千章さんの展示です。リトルコの時伺いましたが、いろいろなタイプの手作りBOOKがありますよ。楽しいです。
関西方面の方、どうぞ、初詣がてらお出かけください。
新作もあるとのこと。

(それにしても、あの、動物の毛皮はどうなったかな〜・・・・・)

2010年12月29日 本の場 | | コメント(5)

本年も、ありがとうございました


仕事が片付かないまま、暮れていく、年の瀬です。毎年です。すみません。
(仕事をご依頼いただいてる方、特に、すみません。いつもお待たせしてしまい・・・)

それはさておき、今年は「つきもの」をおとして行った一年だったような気がしています。
それがよいことなのか悪いことなのか、はっきりしませんが、
自分では「よい」と思う方へ変化していってるという確信はあるので、
自分では納得しています。(こんな書き方をするのも、なんとなく周りがあまりそうも思ってないかな〜、な〜んて思うから。要するに「勝手にやってる感」が自分にあるってことですな。そこらへん謙虚に、「ご無理ごもっとも、そこをなんとか」でいかなきゃ。)
で、見事、12月は2回も38度代の熱を出してしまいました。2回とも半日程度で熱は下がった(その時点まで薬はなし、その後ちゃんと受診して薬のみました)のですが、年初に比べると6キロくらい体重が減っていて(BMIとかそういうのからすれば、年初が多すぎで今が適正ですが、)、弟からは「免疫力低下」を指摘されました。そうかもしれません。いや、発熱は厳然たる事実なので、真摯にうけとめ、体力の維持に努めなければなりません。
数字のトリックに嵌められてはいけませんが。たとえば、メタボ判定。腹囲85センチ以下、人によっていろいろの身体だからそれでわかるわけないでしょう、ですが、数値化されたらなんとなく数値が気になってくる。

つきものを落としていって、来年はいろいろな「次」が始まると思います。
まだまだ、吐かなきゃいけないものは多いけど、吐き出すきっかけは掴んだ気がするので。

では、よいお年を。


2010年12月28日 本の場 | | コメント(0)

ヒッポ、多言語、考えること


自分の何かが変わってきた。
このところ、月火の夜は息子とヒッポの「ファミリー」に参加している。
一昨日は、2年4ヶ月の日本滞在を終えて帰国する、韓国のHさん親子3人(日本に来て2ヶ月でヒッポに参加)を囲む感じの会になった。彼らが家族でやりとりする韓国語が聞こえて、それが今までとは違う感触だったのだ。あっ「できる?」って聞いたんだな、と思った。わかった、と明快には言えないが、すごく「知ってる」感じ。
来年3月に韓国に交流(つまりホームステイ)に行くことになって、それまで聞き流れてしまっていたCDの音が随分と別れて聞こえるようになってきた。「別れて」とは、ここで言ってるこの音と、あそこで言ってるあの音が同じじゃないか、とか、そういうこと。

去年(といってももう随分前だ、)マレーシアに行く前に中国語やらマレーシア語を聞いていたのとはかなり違う感じ。

それは、多分、韓国語はやっぱり日本語に近いからなんじゃないかと思う。ヨーロッパの人が隣の国の言葉をしゃべる人と自分の国の言葉でそのまま会話することが可能だったり、アフリカの人が何十という近隣の言葉が話せる感じ、というのは、こういう感覚なんじゃないか。
なんか「わかりそう」な感じなのだ。(それにしても、言葉ってなんで違うんだろう。まあ、それぞれの人の趣味嗜好が違うのと、根っこはいっしょなのかも)

ヒッポは今21カ国語のCDがあるが、最初は英語だけ、次にスペイン語、その次が韓国語だった。それは、「多言語」ってことを考えるのに、とても重要なことだったんじゃないか、とちょっとずつ体感しているこのごろ。

多言語についてのいろんなことが聞こえてくるヒッポの場。
私はまだ会っていないのだが、確か小学生まで日本でその後中国で育ち、大学で日本語を勉強したS君。彼は日本人と同じように完璧な日本語を話すが、考える時は何語でもないもので考えて、しゃべるとき日本語のモードにして出力する、という。
これぞほんとの多言語人間、すごい、と、中国の留学生のK君が言っていた。

今読んでいる「仏教と脳科学」(アルボムッレ・スマナサーラ、有田秀穂 著)。ものすごくエキサイティングな会話がなされてるんだけれど、以下少々長いですが、322ページから引用(この本の本筋とは少し距離がある部分かも、ですが)。
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スマナサーラ 私はみんなに言うのです。「もっと早く頭を働かせたいならば、言葉を捨ててください」と。私も考えている時には、できる限り言葉を使わないように努力しています。先に言葉なしに考えてから、言葉を後から入れるのです。しかし、いつもうまくいくわけではありません。アイディアはあっても、言葉が出てこないこともあります。
 仏教の概念は難しいのです。大変高度なレベルの日本語能力がないと、日本語で説明することはできません。私の場合は、日本語の能力は決まって弱いのです。語彙力がないのです。では、どのように説法するのでしょうか。それにはプロセスがあります。
 自分の母国語さえ使わず、まず言いたいことを考えるのです。それから、どの順番で言うべきか、整理してみます。次に、私が持っている日本語という小さな皿に載せてみます。それが言語化するプロセスです。それからしゃべります。 

ーーーーー
スリランカ出身のお坊さんのスマナサーラさんはこのように言っている。
一瞬、言葉を使わないで考えるってどういうこと、と思うが、製本で工程を考える時はいつもそうだな。使ってる言葉は「こうやって、こうやって、こう」位。
そう考えていくと、私が製本で学んだことって意外と大事なことだったのでは、と思えた。
そして、3冊製本の著書を作って「言葉にした」ということで、言葉ってどんなもの(この場合、書き言葉、だが)ということを随分味わうことができた。



2010年12月22日 本の場 | | コメント(0)

ヘテロな集団


今回のタイトルは、又聞きの又聞きで、聞いた、酒井邦嘉先生の、ヒッポファミリークラブを評する言葉。

例えば、研究者の集団はそれぞれの研究者の研究分野は違っていても、やってる態度が同じような、ホモ(同質な、の意)な集団。それに対しての、ヘテロ(異なった、の意)な集団、と言われたらしい。そしてその集団がたとえば、言語とは何か、みたいな一つのテーマについて考えて、行動しているという現象が、酒井先生にはとても興味深いことらしい。

私、ホモな集団が苦手、ヘテロな集団が居心地がいいな〜、そうか、ヒッポはヘテロな集団か、確かに〜と思った。
その一方で、切り口を変えてみると、違った見方もできる。
ヒッポでは海外に行ってホームステイしたり、海外の人を受け入れてホームステイしてもらう、プログラムがある。受け入れる側もステイする側もそれなりに経済的余裕がある階層となるだろう。経済的な切り口では、ヒッポはホモな集団なんじゃないか。学問的な切り口ではもちろんヘテロ。

あれ?・・・だからどうした、という話になった。


で、3月に、息子と韓国にホームステイに行くことにした、私。
ともかく韓国語をたくさん、聞いたり、言ったり、して身体に取り込んでいきたいと思います。
ヒッポ参加は2004年なので、もう6年。「多言語活動」っていうことについての考え方が、少しだけど変わってきたかな、と思うこのごろ。
で、それは、ヒッポの活動だけによる、というよりも、自分の製本教室やら、骨盤おこし、気功、太極拳などもふくめて、身体を使ったり、もう少し心のことだったりするけれど、「その行為を止めてるのは、自分」みたいなことをよく言われたり、思ったりもすることがある。止めてるものは自分、というのはその通りとして、自分の「何」なのか。それをしっかりと観察することが必要なんだな、と感じる。
多分、たくさんの言葉を聞いたりしゃべったりするのは人間という生き物には「当たり前」のことらしい、とうすうす感づいてきたのが、「変わってきた」と思う点だ。
では、なぜその「当たり前」が機能しないのか。
なぜ、股関節が可動しないのか。

結構近い問題のような気がする。

股割りは、「勇気があれば、誰でもできる」とは骨盤おこしの中村先生の言葉。
今だめなのだから、しっかり観察し、今と違うことを恐れず試みる、という勇気ですね。


2010年12月13日 本の場 | | コメント(4)

骨董市


昨日は、東京美術倶楽部の「東美正札会」へ行った。案内のDMにある通り、美術骨董市の決定版。洋画、日本画から掛け軸、お茶の様々な道具、などなど、ものすごい数のバラエティに富んだものものが、広いフロアに4階分も、所狭しとならんでいた。

ヒッポで知り合った、中国人留学生が、書道の掛け軸を見たいというので、知り合いの古美術商の方にこの会を紹介してもらって、ご一緒していただいた。
それまでなんとなく知ってはいても、特にきっかけもなく、敷居も高い感じがし、行く機会がなかったのが、またとない、いい機会となった。

物たちは、それぞれに魅力を放っていた。

欲しくなる、ってどういう感じ?
物の魔力に絡めとられる?
自分が物に憑かれてしまう?
子供の時に、「ビートルズのレコードが全部欲しい」とか「ヤンコウスキーキリガが採集したいな〜」(蛾を集めてた)とか、カタログや図鑑を眺めて飽きない、あの感じだな。
最近はその気持ちはあまりない。

ご一緒していただいた、古美術商の方が、茶道の時の作法や取り合わせなどについて説明してくださる。お茶をまるで知らない私には新鮮。

何が美しくて、何が価値があるのか。その世界の特徴を知るとわかって来るのだ。で、そうなってくると楽しいのだ。
そういうありかたをしているのは、美術骨董、学問、文学、などなど、なんでもそうだろう。「違いのわかる男や女」になっちゃうのだ。

で、私は、シロウトでいたいな、と思った。
いや、シロウトでいいや、かな?
いや、シロウト以外の何者でもなくて、良かった、かな?
で、周時代のフクロウの青銅器が気になった私だった。

2010年12月 6日 本の場 | | コメント(0)